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カツラの葉っぱ 大好き!

カツラの葉っぱ 大好き!

砂漠への憧れ R4

<砂漠への憧れ R4>
 砂嵐のなか、サウジアラビアの工事現場で砂にまみれて仕事に明け暮れた大使は、砂漠には憧れとは言えぬまでも、思い入れがあるわけです。
国名を西域風にドングリスタンとしたのも・・・・
どこかに、無機質で過酷な砂漠の風景をエキゾティックに憧れているのかも知れない。
ということで、砂漠への憧れを集めてみます。

砂漠砂の波 美しき造形ナショナルジオグラフィックより

・世界初の砂漠環状鉄道が完成
・『ここまでわかった「黄砂」の正体』
・『リビア砂漠探検記』
・『星の王子さまのはるかな旅』
・『地平線の彼方から』
・『コーランを知っていますか』
・『シルクロード文明の旅』
・『砂の海』
・『ぶらっと楼蘭シルクロードの旅』
・『沙漠の事典』
・ミス・サハラを探して
・『ユーラシアの風景』

*******************************************************************
砂漠への憧れ2>目次
・ルブアルハリ砂漠を見る
・新シルクロード#2
・三蔵法師が行くシルクロード
・「人類の旅路を歩く」第4回
・「人類の旅路を歩く」第3回
・女ノマド、一人砂漠に生きる
・砂漠と人間の歴史
*******************************************************************
砂漠への憧れ1>目次
・「人類の旅路を歩く」シリーズ
・サハラ横断砂の巡礼
・草原の椅子
・アラビアのロレンス
・ふたつのシルクロードの別称が、天山北路/天山南路のようですね♪
・星の王子さまへの旅
・Le Petit Prince
・地図の空白地帯
・地獄のサウジレポート

R4:『世界初の砂漠環状鉄道が完成』を追記


中国系ウェブに「タクラマカン砂漠を一周する世界初の砂漠環状鉄道」という記事があったので紹介します。

【世界初の砂漠環状鉄道が完成】
中国新疆、世界初の砂漠環状鉄道が完成より


 中国北西部に位置し、新疆ウイグル自治区の和田(ホータン)市と若羌(チャルクリク)県を結ぶ和若鉄道が16日開業しました。これにより、タクラマカン砂漠を一周する2712キロに及ぶ世界初の砂漠環状鉄道が形成されました。

 和若鉄道は、全長825キロ、設計時速120キロで、電化の条件を留保しています。世界第二の流動性砂漠であるタクラマカン砂漠の南縁に位置し、全線の65%に当たる534キロが砂漠地帯を通ります。

 沿線工事中の水不足の状況を踏まえ、施工者側は434基の橋脚に対してプレハブの組立技術を採用し、工場で事前にプレハブの加工を終えてから現場で組み立てることで建設の進度を確保しました。一部の区間で風砂が激しく、流動砂丘が線路を埋めやすいという問題については、計49.7キロに達する、風砂が下を通過できる5本の橋を架けました。また、風砂防護プロジェクトを推進し、砂の移動を固定するためにわらを碁盤の目状に埋め込む「草方格」を計5000万平方メートル作ったほか、ハロキシロン・アンモデンドロン(梭梭)やタマリクス・ラモシッシマ(紅柳)、サジーなどの低木と高木1300万本を植え、砂の吹きつけを防ぎ、線路を保護する保安林を建設しました。

 タクラマカン砂漠を一周する環状鉄道は、新疆ウイグル自治区のバインゴリン・モンゴル自治州、アクス地区、クズルス・キルギス自治州、カシュガル地区、和田地区を通り、自治区南部の各民族住民約1000万人の移動や貨物輸送に大きな便利をもたらすことになります。(玉華、柳川)




<『ここまでわかった「黄砂」の正体』>
図書館で『ここまでわかった「黄砂」の正体』という本を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくってみると・・・
とにかく砂漠に関する記事が充実しているわけです。


【ここまでわかった「黄砂」の正体】


三上正男著、五月書房、2007年刊

<「BOOK」データベース>より
知っているようで知らない「黄砂」の常識をくつがえす!!過酷な砂漠体験に挑む科学者たちの情熱とチームワーク。日中共同研究プロジェクト(ADEC)の日本側代表者による、最前線からの「黄砂」レポート。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると・・・
とにかく砂漠に関する記事が充実しているわけです。

amazonここまでわかった「黄砂」の正体

『ここまでわかった「黄砂」の正体』2:タクラマカン砂漠のダスト
『ここまでわかった「黄砂」の正体』1:砂漠や砂嵐について




【リビア砂漠探検記】


石毛直道著、講談社、1979年刊

<「BOOK」データベース>より
古書につき、データなし

<読む前の大使寸評>
かなり古い本であるが・・・
冒頭に梅棹忠夫さんの寄稿文が載っているわけで、わりと格調が高いのである♪

amazonリビア砂漠探検記


『リビア砂漠探検記』3:フェザンのオアシスの生活
『リビア砂漠探検記』2:京大のアフリカ学術調査の歴史
『リビア砂漠探検記』1:梅棹忠夫さんの寄稿文



<『星の王子さまのはるかな旅』3>
図書館で『星の王子さまのはるかな旅』という本を、手にしたのです。
ちょっと古い大型本であるが・・・
美しいヴィジュアル版で、内容も充実しています。


【星の王子さまのはるかな旅】


山崎庸一郎監修、求龍堂、1995年刊

<「BOOK」データベース>より
物語の忘れられない場面の数々に、作家であり飛行家だった著者サン=テグジュペリの、ロマンに満ちた感動的な生涯を重ねあわせながら、『星の王子さま』の世界を旅する一冊。フランスとモロッコに取材した撮り下ろしの写真と、魅力的な執筆陣により、読者の〈夢〉を裏切らない美しいヴィジュアル・ブックが完成した。
 
<読む前の大使寸評>
ちょっと古い大型本であるが・・・
美しいヴィジュアル版で、内容も充実しています。

amazon星の王子さまのはるかな旅




<『地平線の彼方から』>
図書館で『地平線の彼方から』という本を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくると、砂漠や駱駝の写真が見えて、大使のツボがうずくのです。
写真家の著者の紀行文もなかなかのようです。

キャラバン

ウン サウジの現場で熱風と砂埃のなか、文句を垂れながら働いてきた大使には、著者の気持がよくわかるのでおます♪

【地平線の彼方から】
野町

野町和嘉著、クレヴィス、2015年刊

<「BOOK」データベース>より
サハラ砂漠からアンデス高地まで、地球上の荒々しい自然の中で生き抜く人々に魅せられた記録。40余年に渡るドキュメントより代表作から最新作まで、写真96年、エッセイ28編収。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくると、砂漠や駱駝の写真が見えて、大使のツボがうずくのです。
写真家の著者の紀行文もなかなかのようです。

rakuten地平線の彼方から




<『コーランを知っていますか』>
図書館で『コーランを知っていますか』という本を、手にしたのです。
大使としてはコーラン自体にあまり興味はないのだが、砂漠の民の生活が出てくるので借りたのでおます。

ラクダ

(長くなるので省略、全文はここ)
ウン 遊牧民にとって駱駝は、神様からの御恵みなんだ♪


【コーランを知っていますか】
コーラン

阿刀田高著、新潮社、2006年刊

<出版社>より
遺産相続から女性の扱い方まで厳格に、でも驚くほど具体的に、イスラム社会を規定する『コーラン』。日本人には理解しにくいと言われるこの書も、アトーダ流に噛み砕けばすらすら頭に入ります。神の言葉『コーラン』は、実は後悔しない人生を送るための親父の説教みたいなものなんです。イスラムとの協調が絶対不可欠な、今だからこそ読みたい『コーラン』の、一番易しい入門書。

<読む前の大使寸評>
大使としてはコーラン自体にあまり興味はないのだが、砂漠の民の生活が出てくるので借りたのでおます。

shinchoshaコーランを知っていますか




<『シルクロード文明の旅』>
図書館で『シルクロード文明の旅』という文庫本を、手にしたのです。
先日読んだ椎名誠著『砂の海』の余勢を借りて、ちょっと古くなったけど、この本を借りたのです。


地図

タクラマカン砂漠の北側、西域北道の旅を、見てみましょう。
p197~11
第三章 西域北道からパミール・ヒンドウクシュの旅
 以下は、1990年8月3日から8月26日まで、上海からウルムチ経由で西域北道を通り、カシュガル、タシュクルガンを経て、フンジュラブ峠を越えてパキスタンに出、ギルギットからヒンドウクシュの山に入り、チトラル、カフィリスタン、スワット、ペシャワルに至る旅行に基いて書かれたものである。

 同行の仲間は22名、大部分は東京、大阪、名古屋、姫路から参加した人たちで、男女は半々であった。

 まず上海からウルムチまでは飛行機、西域北道はバス、カシュガルから先は、帰国のときの空港であるイスラマバードまでジープで移動した。私はこの3年前にもフンジュラブ峠を越えたが、ギルギットからチトラルへ入った。途中2日間は持参のシュラーフを利用する野営であった。

■トウルファン
 8月5日午後、ウルムチからトウルファンへ向かった。トウルファンは今回の「西域北道くるまの旅」の中でも、クチャとともに最も重要なポイントである。

 トウルファンは自然条件が極めてユニークである。海抜5445メートルの天山の巨峰ボグド山とクルクターグという山の間にある鍋底のような盆地で、東西245キロ、南北約75キロ、面積5万147平方キロをしめている。このうち約4050平方キロは海面より低い地域で、その半分は海面下100メートル、最も低いアイディン・クル(湖)は海面下145メートルである。まわりのほとんどがゴビ灘とよばれる礫砂漠で、夏の気温は47.6度に達し、そのときの地表の温度はふつうで70度になるという。

 現地の人びとの間には「」(砂丘では卵を焼くことができ、岩の上ではケーキが焼ける)という言葉があると書かれている。年間の降水量はわずか16ミリ、蒸発量は3000ミリ。それに風が強く、秒速8メートルの風が吹く日が最低30-40日、多い年は60-80日にもなるという。トウルファンの西部にあるトクスンの町は、最も風が強いことで知られている。

火焔山の写真

 トウルファンの「火焔山」は有名である。これは盆地の東西を走る長さ100キロの山脈で、幅は拾いところで10キロ、最高点は851メートル。白亜紀と第2紀の砂礫岩層と紅色の泥岩からなっていて、暑い夏の斜陽のもとでは火焔がたちのぼっているように見えるところから、この名がある。


【シルクロード文明の旅】
シルクロード

加藤九祚著、中央公論社、1994年刊

<「BOOK」データベース>より
1989年から92年にかけて、文明の交流を基軸に西は黒海北岸のオデッサから東はサハリンまでを旅した記録。シベリア抑留以後、旧ソ連とアジア諸国を訪れること50回を越える著者の関心はシベリアと中央アジアの歴史、文化にとどまらず、ペレストロイカ末期の社会情勢、人間模様にまで及び、古代から現代に至る「シルクロード文明」を生き生きと描き出している。  

<読む前の大使寸評>
先日読んだ椎名誠著『砂の海』の余勢を借りて、ちょっと古くなったけど、この本を借りたのです。

amazonシルクロード文明の旅




<『砂の海』>
図書館で『砂の海』という本を、手にしたのです。
ちょっと古い本ではあるが、砂漠、西域は大使のツボでもあるし、シーナの紀行とあれば期待できそうやでぇ♪


【砂の海】
砂

椎名誠著、新潮社、2000年刊

<「BOOK」データベース>より
目的地は、探検家ヘディンが「さまよえる湖」と名づけたロプノールと2000年前の幻の王国・楼蘭。太陽のコノヤロ光線、岩山も刻む砂嵐の中、“あやしい探検隊”隊長は、“正しい探検隊”である日中共同探検隊と、ずんがずんがと砂漠を突き進む。金属味の缶詰料理に辟易し、激しく車に揺られながら、著者が最終地点で目撃したものは?ハードな旅をユーモアで描く、シルクロード紀行。

<読む前の大使寸評>
ちょっと古い本ではあるが、砂漠、西域は大使のツボでもあるし、シーナの紀行とあれば期待できそうやでぇ♪
借りたのは、1998年刊のハードカバーです。

amazon砂の海

砂漠

この本の冒頭を、見てみましょう。
p9~12
<さまよえる湖>
 タクラマカン砂漠へ行くことになった。
 タクラマカンとは、西域に住むウイグル族の言葉は「入ルト出ラレナイ」ということを意味するらしい。

 (長くなるので省略、全文はここ)




<『ぶらっと楼蘭シルクロードの旅』>
図書館で『ぶらっと楼蘭シルクロードの旅』という本を手にしたのです。
楼蘭、トルファンはもちろん載っているが、ウラジオストックやリガまでカバーした著者のパースペクチブがええでぇ♪


【ぶらっと楼蘭シルクロードの旅】
楼蘭

都丸幸泰著、東洋出版、2002年刊

<「BOOK著者紹介情報」>より
1955年群馬県生まれ。1981年東京の不動産会社勤務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

<読む前の大使寸評>
楼蘭、トルファンはもちろん載っているが、ウラジオストックやリガまでカバーした著者のパースペクチブがええでぇ♪

amazonぶらっと楼蘭シルクロードの旅


まずトルファンあたりを、見てみましょう。
p16~19
<楼蘭 砂に消えた都>
 今日の目的地、トルファンまで昨日のミニバスで出発する。
 市内を出ると途端に土獏になる。
 はい、ここで街はおしまい、というようにはきりと終わる。街を振り返ると緑の木々に包まれている。オアシスという言葉を実感する。

 ウルムチートルファン間は昔からのシルクロードの幹線道路であり、旧道に平行した高速道路を走る。また楼蘭からの鉄道も並んで走る。

 赤茶けたような荒れ地が続いている。
 砂漠は「月の砂漠」で唄われるような砂の砂漠は少ない。ゴビ灘もサハラ砂漠もところどころにまばらな植物のある荒れ地である。荒れ地の窪みの中に砂が堆積していく状態となる。ぼくが見た砂漠で本当に細かな砂の丘が続いていたのはアフリカ南部のナミブ砂漠ぐらいである。
 そんな砂漠を分ける高速道路をバスは突っ走っていく。

 荒れ地の中に突然、大きなプロペラがいくつも見えだした。道の両側に規則正しく並んでいる。地上から20メートルほどの白いポールが伸びてそこに白い3枚羽根のプロペラが付いている。プロペラは見ていても、羽根が勘定できるほどの速度でゆっくりと回っている。くるくる回るという速度ではない。そんなプロペラ塔が規則正しい間隔で一面に並んでいる。道の片側には40~50本はあるのだろうか。それが両側にある。プロペラ塔の林である。

 ガイドの黄さんの説明によるとゴビ灘を吹き抜ける風を利用しての風力発電所だという。ゴビ灘ではもっと風の強いところはあるらしいが、そこでは風が強すぎてプロペラ塔が倒れてしまうとのことだ。何でも中庸がいいということか。

 風力発電の林を抜けると今度は右手に大きな湖が広がっている。塩の湖、塩湖である。もともと岩塩の強い土壌でそこに天山山脈の雪解け水が流れ込み塩分濃度の高い湖となった。たしかに湖岸は白い帯が広がっている。この塩を使って近くには化学工場があるらしいい。

 この辺りは地元の観光地らしく道路沿いに火鍋の店がずらりと並んでいる。ここは火鍋が名物で休日は大盛況だそうだ。お客さんはウルムチ市内から来るという。

 しばらく走るとまたオアシスが見える。
 赤茶けた砂漠が続いた中で緑のオアシスを見るとほっとする。オアシスはよくアラビアンナイトなどにあるような一つの泉を中心としたキャラバンの休息地のようなものではなく、一つの村落、街になっている。そこだけ緑の木々や農地が広がっている。しかしこのオアシスもやはり「はい、ここでオアシスは終り」というふうに唐突に終り、すぐそこからはまた赤茶けた砂漠が広がっている。

 オアシスの中でしか人の生活がない。
 オアシスの中でしか人は生きられないのだ。

 この砂漠の高速道路の一番の災害が洪水である。砂漠に洪水、というのもわかりにくいが天山山脈の雪解け水が鉄砲水となり夏に一気にトルファン盆地に押し寄せる。そして全てを押し流し、道路も根こそぎさらっていってしまう。

 何年かに一度は必ず起る災害らしい。そのため道路にはその下を横切る、水路のトンネルが設けられている。一定の間隔で並んだトンネルは洪水時には道路の下の川となり、鉄砲水の逃げ場を造る。そのため道路は流されないで残る。道路の左右に広がる砂漠にも明らかな川の跡、水の流れた痕跡が大きく残っている。

 干上がった川を道路が横切っているようだ。

 次第に土獏から岩石の地域へと変わっていく。両側に岩石が多くなっている。山々の間の狭い谷を道路は走る。岩石のところどころは大きく抉られた跡が残っている。つい数年前も大きな洪水があり、道路もろとも山をも押し流したという。
 山々を抜けると穏やかな緑のある農村地帯に入っていく。道の両側は緑の平地となり畑が目立つようになる。

 一面の葡萄畑である。
 トルファンだった。 




<『沙漠の事典』>
図書館に予約していた『沙漠の事典』という本をゲットしたのです。

ビジュアルな大型本で、原則として1概念で1頁(多くて2頁)となっていて、事典形式ではあるが、読み物として面白いのが、ええでぇ♪

サウジアラビア出張でひどい目に遭った大使であるが・・・
それ以来、砂漠愛が亢進しているのでおます。


【沙漠の事典】
沙漠

日本沙漠学会編、丸善、2009年刊

<「BOOK」データベース>より
気象・気候・景観・産業・生活・歴史・生態系・水・土壌など、さまざまな角度から約200の項目を選び、沙漠のすべてをあますところなく解説する中項目事典。日本沙漠学会創立20周年記念。1項目1ページの読み切り形式とし、各項目には、最も象徴的な図・表・写真を掲載。

<読む前の大使寸評>
ビジュアルな大型本で、原則として1概念で1頁(多くて2頁)となっていて、事典形式ではあるが、読み物として面白いのが、ええでぇ♪

<図書館予約:(9/11予約、9/16受取)>

amazon沙漠の事典


内モンゴル自治区といえば、鬼城(亡霊都市)とか、レアアース生産とか、とかく過酷な地域というイメージがあるのだが・・・・
この本で内モンゴル自治区の沙漠化対策を、見てみましょう。
p23
 中国内モンゴル自治区における沙漠化の主要な原因は過伐採、過放牧、過耕作とされている。
 過去50年の間、内モンゴルにおいて、きわめて激しい人口増加と農業開発が進んだ。人口増加に伴う小都市の建設は新たな燃料の需要高をもたらし、それが伐採を推し進めた。農業開発は草原の開墾を意味していた。人民公社時代、とりわけ文化大革命中の草原は荒地とされ、多くが開墾され、その後に放棄されている。

 開墾されたのは草原でも水資源が豊富で最も肥沃なところである。現在、沙漠化したとされる土地の多くが当時開墾されたところである。それは、放牧可能な牧地の面積の減少を意味すると共に、家畜をより荒廃した牧地に追いやることになった。

 これまで沙漠化対処は主として緑化、つまり植林であった。その最前線を担ってきた一つが日本人による植林ボランティアであるが、乾燥地における植林は水資源の枯渇を招くという指摘がある。

 近年、中国政府は沙漠化対処として、「生態移民」、「退耕還林(草)」、「退牧還草」とよばれる一連の環境政策を施行している。いずれの政策も、自然環境が悪化した原因を該当地域で営まれる生業にあるとし、その生業を制限、もしくは、やめさせることによって自然環境を保全しようというものである。

 これらの環境政策の中でも、牧畜地域を対象とした「退牧還草」と「生態移民」は家畜を牧地で放牧することをやめて、草原に戻すという政策である。かわって、家畜を畜舎内で飼料によって飼育する畜舎飼育、もしくは、牧畜そのものをやめて、第二次、第三次産業へ就業することが奨励されている。人口圧と家畜圧を減らそうというのがこれら一連の牧地を対象とした環境政策であるが、その代替として推奨されているのは牧地の開墾による飼料生産である。しかも、地下水を利用した灌漑農業である。さらに、移住後の生活をどのようにして維持していくのかという経済的な問題や牧畜の否定という文化的な問題など、さまざまな問題をはらんでいる。


まあ 牧畜の否定も選択肢にいれて、少数民族の文化に頓着しない荒っぽさがすごいですね。

次に、日本にも影響が大きい黄砂について、見てみましょう。
p162
<越境汚染―黄砂>
 黄砂とは、中国大陸内陸部のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠、黄土高原、中央アジアなど乾燥・半乾燥地域で数千mの上空にまで巻き上げられた鉱物・土壌粒子が偏西風に乗って拡散し東アジア・西太平洋地域を中心に広く拡散あるいは降下する現象を指し、中国では砂塵暴とよばれている。日本では、春に観測されることが多く、時には空が黄褐色に染まり視界不良を起こす。

 黄砂粒子はいったん大気中に舞い上がると、粒径が10μmぐらいの比較的大きな粒子は重力によってすみやかに落下するが、粒径が数μm以下の小さな粒子は上空の風によって遠くまで運ばれる。近年、中央アジアや東アジアが起源の黄砂粒子は頻繁に中国北東部、台湾、韓国、日本へと運ばれるようになり太平洋を横断して北米やグリーンランドまで運ばれたという報告もあって、黄砂は東アジア諸国だけでなく、地球全体の国境を越えた環境問題として認識されつつある。
(中略)

 黄砂粒子には石英や長石などの造岩鉱物や、雲母やカオリナイトなどの粘土鉱物が多く含まれている。その他に菌類、細菌、花粉などが付着していると考えられている。近年、硝酸塩や硫酸塩など大気汚染物質の含有が明らかとなり、これらは黄砂が工業地帯を通過する際に付着すると考えられている。除草剤、農薬などの付着も指摘されている。

 黄砂は発生域周辺の農業生産や生活環境に被害を与え、経済的および社会的損失をもたらすと同時に、日射の散乱・吸収、黄砂粒子を核とした雲の発生など気候へも影響を及ぼす。また、海洋へも大量に供給され、海洋表層のプランクトンへのミネラル・栄養素の供給を通して海洋の生態系に大きな影響を与えていると言われている。そして、黄砂発生は環境問題だけに止まらず、健康への被害も懸念されている。

 日本における放射性セシウム(137Cs)を含む砂塵の主な発生源は大陸の草原域であることが確認され、広島と敦煌で採取された黄砂から96%という高い類似係数を示す同じ菌株が検出されている。また、科学的根拠は十分ではないが、台湾、韓国、日本などでは黄砂発生時期にアレルギーや喘息症状の悪化を訴える患者数が年々増加しているといわれている。

 黄砂発生と同時期に、家畜の口蹄疫が東アジアを中心に発生していることからウィルスの付着・輸送も問題視されている。




<ミス・サハラを探して>
図書館で、『ミス・サハラを探して』という本を手にしたのです。
島田雅彦さんのチュニジア紀行であるが、写真のページが多くて手頃な厚さで読みやすく・・・
ちょっとエロっぽくて、小粋な感じがするわけでおま♪

ほら吹きゴーシュ(本名はズィエト)の案内で、砂漠の旅が始まります。
p27~32
<チェ二ス離れてを>より
 2日目も3日めも夜な夜なリゾートホテルのバーやディスコをはしごした。最初は品定めに時間をかけていたが、夜が更けると、女たちは次々姿を消してゆく。ゴーシュが「あれは確実にひっかかってくる」といった女は子ども連れだし、私がビールをおごった女たちはホテルの雇われビーチボーイの方になびいてしまった。12時を過ぎると、ディスコには躍り疲れた男たちばかりが残った。

 六ヶ国を操るゴーシュの舌は冴えない。黄金時代のナンパのテクニックはもう錆びついたのか。私はため息をつきつき思う。もう年だ。20代の頃はもっと必死に女を口説いていた。あの気迫は今はない。ゴーシュは「ツキがない」という。これはツキの問題ではない。「いい加減、蓮の実喰いの島は飽きた」と私はいう。いいザブールにも恵まれず、私は半ばすねていた。

―砂漠へ行きましょう。砂漠には全然別の生活があります。砂漠では気持ちが洗われる。
―砂漠にはナンパできるような女はいないだろうしね。

―リゾートの女は男が目当てだが、砂漠のキャンプにいる女は砂漠が目当てです。

―砂漠は男よりも魅力があるわけか。

―砂漠は女よりもいい。ムッシュ・シマダ、サハラへ行く潮時です。知っていますか?サハラというのはアラビア語で何もないという意味です。シュクリ(運転手)もサハラに帰りたがっています。

 カーステレオからは・・・・催眠効果のある音楽が絶えず流れてくる。アラブの音階は耳の中でとぐろを巻く。タンバリンや太鼓、チャルメラに似たリード付きの笛による伴奏に乗って、アラビア語のうねるような歌唱が車中に鳴り響く。

―みんな恋の歌です。
 無口なシュクリがフランス語で呟く。

―砂漠でも恋の歌は歌われているのかな。

 私がたずねると、「遊牧民も恋の歌を歌います」とシュクリが応える。私は女性バックコーラスの合の手を真似る。

 車はオリーブの平原をひた走る。シュクリは帰郷の土産に路上の露天でバケツ一杯のオリーブを買った。そこから5キロほど奥に、かつてベルベル人の要塞だった村があるというので、寄ってみることにした。オリーブ畑の中にそそり立つ岩山があり、その平たい頂上に集落があった。車を下りると、たちまちまわりを男たちに取り囲まれた。敵意も売りつけようとする品物もないようだったが、好意も愛想もなかった。

 要塞には三家族が暮らしていて、生活は貧しい、と聞きもしないのに説明した。水は2キロ離れた井戸からラバの背に乗せて運んでくるのだそうだ。男たちは自分たちの住まいを我々にみせた。そうやって我々を案内しながら、煙草をくれ、金をくれといい出す。長男はフランス語で、次男はドイツ語で、三男は英語で、みな同じ口上でたかってくる。

―ここは仕事もなく、現金収入がない。オレたちがここを出ていくと、水の運び手もいなくなる。だから、金をくれ。オレはおまえのガイドだ。その報酬に5ディナールくれ。

 ゴーシュも財布の中身が半分になってしまい、煙草もライターも手放し、私に煙草をたかるのである。

 砂漠の町は・・・・全てオアシスである。ナツメヤシの木が無数に生い茂り、湧き水が川となって流れるところを通らなければ、砂漠の旅は不可能だ。遊牧民は天空の星の座標と砂漠の地形や植生、砂の質から次のオアシスへと迷うことなく移動してゆく。

 地中海のリゾートから12時間のドライブで辿り着いたトズールの町は20万本ものナツメヤシが茂るチュニジア最大のオアシスで、ローマン・アフリカの果てと呼ばれていた。ローマ人はトズールより南には行かず、ここで帝国の線引きをした。ここから先はローマ人が支配する必要はないと思ったのだろう。


ところで、サハラ砂漠を舞台にした絵本といえば、有名な『星の王子さま』がありますね。

この本は写真ページが多くて絵本のようでもあるのだが、(やや下品なところもあるので)『星の王子さま』に例えるのは無理があるかも♪

【ミス・サハラを探して】
島田

島田雅彦著、ベストセラ-ズ、1998年刊

<「BOOK」データベース>より
砂漠は麻薬と同じである。サハラの蜃気楼にアッラーの幻影を追う放浪訳。
【目次】
第1部 ミス・サハラを探して(私はユリシーズという/旅の始まりは/ホラ吹きゴーシュの本名は ほか)/第2部 怠惰の海(地中海の空気には/ホテルの鏡でも/隣のテーブルのカップルが ほか)/第3部 アッラーの微笑(チュニスに到着し/スークの賑わいに/さて、食事の時間だ。 ほか)

<大使寸評>
島田雅彦さんのチュニジア紀行であるが、写真のページが多くて手頃な厚さで読みやすく・・・
ちょっとエロっぽくて、小粋な感じがするわけでおま♪

rakutenミス・サハラを探して


サハラの誘惑といえば、こんな画像がヒットしました♪
ラクダ
サハラの誘惑・三度目の砂漠ツアーより


<『ユーラシアの風景』>
『ユーラシアの風景』という本で、砂漠の魅力が語られています。砂漠は大使のツボなんですね♪

砂漠タクラマカン砂漠の画像より

p152~154
<砂漠―光と静寂の中の真実>より
 私は格別に不幸な生涯を送ったわけではなく、どうしようもない不運に見舞われ続けたわけでもない。むしろ分不相応な良い偶然にも幾度も恵まれて、生きているのはいいことだとしみじみと感じた日も少なくない。

 にもかかわらず、少年時代からこの世のものならぬものへの憧れのようなものが、ずっと心の奥に生き続けてきた。長じて生きていく上で、他人とのかかわりの難しさや社会的、歴史的現実の矛盾にぶつかってゆくにつれて、日々の現実以上に真にリアルなものへの飢えはますます強まったように思う。

 そのように絶対的に真実なものへの希求に対応できる風景のイメージが、私にとって砂漠だ。

 とりわけなだらかな砂丘が見渡す限り連なり、砂粒が絶えまなく砂丘の稜線から流れ落ちるかすかな音が、光と静寂の中で鳴り続けている砂丘的砂漠の中で、私は全身が透き通るような感動に震える―砂粒という最も貧しい物質と光と風だけで、世界はこんなにも豊かで美しい、と。

 そんな風に感ずるのは私だけか、と長い間思ってきたが、最近になって日本でも上映された映画『イングリッシュ・ペイシェント』の原作者マイケル・オンダーチュやアメリカの前衛的作家ポール・ボウルズのような奇特な文学者の作品に出会うと心強い。

イングリッシュ・ペイシェントイングリッシュ・ペイシェント
 オンダーチュの小説はサハラ砂漠の神秘的な魅力を描いて最高の小説であり、ボウルズの『孤独の洗礼』は砂漠の「鉱物的静寂」の中で人は本当に孤独になり、真の自分自身にかえると、砂のように淡々と威厳をもって、砂漠の形而上学を語って最高のエッセイである。

 「絶対的なものの真ん中にいるという最高の満足感」と、ボウルズは砂漠体験の核心を語っているが、中国奥地のタクラマカン砂漠の一部を歩いただけの私の体験も、正確にその通りだった。


砂漠といえばポプラ並木・・・典型的な景色ですね♪
ポプラ
p72~74
<ホータンのポプラと湖>より
 中国北西端、新疆ウイグル自治区の中心地ウルムチから、空路天山山脈とタクラマカン砂漠を越えてホータン(和田)に着いてまず驚いたのは、空港から市内まで真っ直ぐの道路の両側に連なるポプラの並木だった。しかもそのポプラの列は隙間なく部厚く、まるで高い壁のよう。

 翌日、市の外側に広がる農耕地で、女性や子供まで交えた農民たちが、泥まみれになって並木の補修作業をしている姿を何ヶ所でも見て、胸を打たれた。ポプラの列は吹き寄せる砂漠の砂を防ぐ防壁なのだ。

 現在タクラマカン砂漠周辺の幾つものオアシス都市住民のほとんどがウイグル族だが、9世紀頃、彼らがモンゴル高原から移住してくる前にも、中央アジア系の先住民が同じようにポプラを植え補修し続けてきたのだろう。

 砂漠地域に住む必須の条件は、砂と戦うこと、水を確保すること。幸い崑崙山脈に添うホータンでは雪解け水が流れ下りてくるが、吹き寄せる砂漠の砂を防ぐポプラの川は不断に守り続けねばならない。ポプラを植えることが生きのびることだ。無限の砂に対する、か弱いポプラと人間の共同の戦い。人間が自然を「征服」したなどと言えるのは、一部の恵まれた地域だけのことだ。

 ホータン滞在の最後の日、案内人が郊外の人工湖に連れて行ってくれた。耕地と砂漠の間に頑丈な土手を築いて、雪解け水を溜めた広い湖。造られてそれほどの歳月は経ていないらしく、岸辺にはまだ草も生えず苔もついていなくて、湛えられた水はひたすら透明で、水面はただ静寂。

 対岸に連なる砂丘の沈黙とのコントラストに、この世のものならぬ悠久の想いに誘われた。大自然を前にしての、人間のぎりぎりの知恵と労働の形は、底深く心をゆする。



【ユーラシアの風景】
ユーラシア

日野啓三著、ユーラシア旅行社、2002年刊

<「BOOK」データベース>より
【目次】
美し過ぎる幻想の地ーオアシス都市シラーズ/天に向かって立つ岩と魂ーカッパドキア/野の果ての白い教会/極北の湖の岸で/タクラマカン、光り輝く静寂の土地の魔法/黄河/エフェソス/ベナレス、畏るべき場所/エローラの飛天女、反重力の夢/カトマンズの摩訶不思議〔ほか〕

<読む前の大使寸評>
黄河や、シルクロードや、砂漠や、フィン族の住むカレリアまで・・・まさにユーラシアである。

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